
社会に見落とされた「透明な存在」と感じていると叫んでも、分からない人には1ミリも何がどう「透明」なのかわからないだろうなぁと思ったので、現状私が「就職氷河期世代の独身女性」であることで感じている「不条理」や「こじらせ」をまとめてみました。
望んで独身で居るわけではないので後ろめたさがあり同窓会等に行きたくない
周囲が家庭を持ち、人生のステージを進めている人と比較されることへの恐怖や、説明しづらい現状が山盛りで、かつての知人との繋がりを避けてしまうことがあります。
同窓会に行きたくないのもそれが理由です。
かつて、既婚の友人の友人(独身・知らない子)が私とほぼ同じことを言っていると聞き、「ああ、わかる……」と猛烈に共感したことがありました。
もし、他の多くの独身者も私たちと同じように「後ろめたさ」からあらゆる機会から身を引いて潜めているのだとしたら……?
独身者は統計上の数字でしかなくなり、実態としては「存在しない透明な存在」になってしまいます。ますます私たちは見落とされていくわけです。
趣味に没頭しすぎて行き遅れたのかなと思われたくない
純粋に好きなことを楽しみたいだけなのに、他人から「だから独身なんだ」と短絡的な理由付けをされるのを避けたい心理が働きます。生活のうるおいや楽しみであるはずの趣味の場さえも世間の目を気にして遠ざけてしまうため、孤独が加速します。
以前、会社の人がアイドルのライブチケットをネットで譲ってもらった際、運よくとても良い方に出会えたそうなんです。その時にその人が「やっぱり(あんなに良い人でも)こういう趣味だから独身なんだね」と何気なく言っていたのですが、私にはそれがグサグサと刺さりました。
悪気なく言ったのかもしれないけれど、世間からはそう思われちゃうんだな、と。
趣味を楽しむことすら「独身の理由」にされてしまうなら、いっそ隠れた方がマシだと思ってしまうんですよね。
一馬力で後がないため、会社でどんなに理不尽な目にあってもすぐに辞めることはできない
独身者は生活のすべてを自分一人の収入で支えているため、失業は生活の破綻を意味します。なので不当な扱いを受けても耐え忍ぶしかありません。
結婚して子供も居る同僚が、退職願を出して社長に却下された事があります。その時にどうも私の給料よりも数万円(片手の指では足りない万円)給料を上げてもらっていたんですよね…。これを3〜4年経ってから知った時には衝撃でした。
※なぜ分かったかと言うと、社則の役職と役職手当を確認したからです。
同僚は旦那の稼ぎで一時的に凌いで転職すれば何とかなるわ。という勢いで会社に退職願を叩きつけたわけです。もしかしたら、退職届を受理された可能性もありますが、結果的には運よく退職は却下され給与を上げてもらい。めっちゃ得したわけです。理不尽だなと思いました。
独りなので、家族を通して知り合いが増えるということはまずない
独身者には配偶者の友人や、子供の学校関係といった「家族を介したつながり」が一切ありません。社会的な繋がりのルートが極端に限定されているため、能動的に動かなければ新しい人間関係が構築される機会が仕組み的にありません。
また、自治体の催しなどにも積極的に参加しようと思っても休日のものは親子参加前提のものが多く、私でも参加できそうかな?と思うものは平日の昼間開催のものばかりです。子供とお年寄りと専業主婦と平日休みの仕事をしている人かFIREしてる人しか参加できんやんけ…!と、自治体の広報誌を見ながらいつも思ってます。
自発的に趣味でもなんでも足を伸ばさないと知り合いが会社にしかいない
平日は会社と自宅を往復するだけの生活になりがちで、気が付けば人間関係が職場の上下関係や利害関係のみの退職したら消滅する希薄な関係だけになります。
仕事以外で「自分」の存在を認めてくれる他者が身近にいないため、精神的な逃げ場を失いやすくなります。そして休みの日は平日にできない家事や、大物の洗濯をしたり買い物に行ったりしていると人間関係を増やしたり深めるような機会は持ちづらいです。
このまま自分が高齢になった時、賃貸保証を誰にしてもらうのか
賃貸物件の更新や住み替えの際、保証人を立てるのが難しくなったり、高齢になったときの住まいの確保に不安を感じています。
これは自分を含め、両親や兄弟も若いうちは気づきにくいですが、年を重ねてくると、「社会的な足場の不安定さ」の実感が増してきます。本当にこれ、どうしようって思ってます。
「一人=寂しい」というステレオタイプな視線
世間からは「独身=可哀想」「何か問題があるから独りなんだ」といった勝手な決めつけをされます。その偏見の目に晒されるのが嫌で、趣味の集まりや交流の場へ踏み出す足が重くなってしまいます。
誤解してほしくないのは、私自身は「一人でいることが寂しい」と思っているわけではない、ということです。 私のADHD遍歴をご覧いただければわかる通り、幼少期から人間関係には苦労してきました。誰かと会った後に「あの時の私の返し、良くなかったかな」と一人反省会をして疲れ果てるくらいなら、一人で行動している方がずっと気楽です。
「寂しいから誰かといたい」のではなく「一人でいたい」。
それなのに外に出ると、「一人=寂しい可哀想な人」という枠に無理やり当てはめられ、哀れみの視線を向けられる。その「自分自身の感覚と、世間からの見られ方のズレ」が、何よりも苦痛で、さらに人をさけてしまうという悪循環を招いていると感じます。
色々書きましたが終わりに
自治体の広報誌を見てイラッとしても、職場の同僚との給料格差に呆れて暴れて叫びたくても、結局自分の身を守れるのは自分しかいないのが現実です。
誰かに理解してもらったり社会に期待するよりも、自分の機嫌は自分で取って、老後のための資産を1円でも多く積み上げる。それが、私なりの最高の防衛策だと思っています。
あと、こんなこと書いてるけど機会があれば全然パートナーが欲しいですし。 色々ぼやいているけど、あきらめているわけではありません。
実体験として「不条理」と感じたエピソードも多いけど、ちょっと被害妄想が入ってるのもあるかなとは思わなくもないので、がんばるよ…がんばるけど、こういう事を思っているし、こういう目にも遭ってるんだって知ってほしいですね。


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