私のADHD遍歴/就職氷河期世代・独身女性が大人になって気づいた生きづらさの正体。

子供の頃からADHDの片鱗が見え隠れしていますが、当時はADHDなんて言葉も無かったので、自分は天然でそそっかしいだけと思っていました。
大人になるにつれ「やらかした」後の始末が大変になる事が多くなり、苦痛になっていきました。

幼児の頃:女子集団への違和感

  • 近所の女の子たちとは遊ばず、男の子とばかり遊ぶ日々。今思えばこの頃から女子特有の集団行動や空気に馴染めなかったのかもしれません。
  • 同年代の女の子にからかわれたことで、次第に男の子と遊ぶのも避けるようになり、自分の居場所がよくわからなくなりました。

小学生の頃:忘れ物と、父の愛と、図工の才能

  • 小学校では忘れ物の常習犯。教科書やノート、給食当番の割烹着、本当に色々忘れました。それがあまり深刻なことだとも思っていませんでした。小2の時の担任が、些細なことでも賞状をくれる先生で何日か忘れ物をせずに学校に行っていたら「忘れ物0賞」をくれた事が深く記憶に残っています。
  • 九九が覚えられない私を見かねた父が、手書きの「かけ算単語帳」を作ってくれました。「なんでできないの⁉」とただ叱るのではなく、工夫することで手を差し伸べてくれた父の愛には今も感謝しかありません。九九をみんなの前で読み上げるテストがあったのですが、私はクラスの中で最後から2番目くらい合格をもらいました。
  • 小3くらいまで、保育園の延長だと思って小学校に通っていました(笑)。ある時、急にみんながノートを取っていることに気づきびっくりしました。カラフルなペンをたくさん用意して、カラフルなノートをとってるうちにノートを取る事自体が楽しくなりました。(残念ながら勉強が楽しくなった訳ではない)
  • 他の教科はボロボロでも、図画工作だけは「5」でした。私の図画工作の才能を見つけてほめて伸ばしてくれた先生のおかげで、自信を失わずに済みました。

中学校の頃:アニメとゲームに救われる

  • 相変わらず勉強をする意味がわからず、成績は急降下。日本史・世界史も「実際に起きたこと」だと思っておらず授業を受けていました。今はめっちゃ歴史好きなのに…。
  • 夏休みの出校日を間違えるミスはありましたが、気の合う友人とアニメやゲームの世界に没頭することで、キラキラ女子とは無縁の穏やかな時間を過ごせました。

高校生の頃:迷走の商業科

  • 成績が良くなかったため選択肢がなく、女子の集団や計算が苦手なのに「女子校」の「商業科」へ。案の定、簿記やそろばんは追試の嵐。
  • プールの授業で使った水着を学校に忘れたままに夏休みに突入したり、ある日いつも通り登校したつもりが創立記念日で休みだったり、駅に止めた自転車の鍵をかけ忘れて何度も盗まれるという、ADHDらしい(?)トラブルもありましたが、なんとか卒業。

短大の頃:ADHD伝説は深まる

  • 定期券がみつからず、仕方がないので現金で切符を買って登校。授業を終えて家に帰ってきたら便器の中から定期券がでてきたと母に叱られる。トイレつまり修理に3万円。
  • 原付の免許を取得。原付にのって出かけるも、高校生の頃のように駅に止めた原付の鍵を取り忘れて何度も盗まれるなどの悲劇を繰り返す。
  • この頃はまだ家族と暮らしていましたが、家の鍵をかけ忘れて出かけることもしばしばありました。母にめっちゃ叱られました。

大人になってから:やらかしの深刻さが大きくなってくる

  • 友達と上京して別行動をしてその後携帯電話(その頃はまだガラケー)で連絡を取り合って合流する予定だったのに携帯電話を無くして連絡がとれなくなる。(※1)
  • 機種変したばかりの携帯電話を駐車場に落とした事に気づき、取りに戻ったら携帯は車に轢かれていた。
  • 今日の電車空いてるな~朝から座れてラッキー。と思いながら出社したところ、堂々と1時間遅刻していた事があります。その逆で、今日の電車はいつもと乗ってる人たちの層が違うな…と思いながら電車に乗っていたら1時間早く出社していたことも。(後者のやらかしはまだマシなやらかしなので平和なんですけどね)
  • 車に給油しに行き灯油を入れてしまい、車が走らなくなったことも。アクセルを踏んでもスピードは出ず、踏み込むたびに変な音がして怖かった。修理に5万円。
  • 駅で保険証、社員証、定期券、家の鍵、財布など大事なものが入ったカバンをまるごと紛失。スマホは持っていたのでなんとかなったけど、落としたものたちはいまだに出てこず。この経験から大切なものは持ち歩かない、紛失してもダメージが少ない方法を模索しはじめる。
  • 某有名単身者向け賃貸マンションに住み始めて一か月目の時の話。その物件の鍵のかけかたは①カードを刺す、②ドアノブを回す→鍵がかかる。という構造なのですが、②をし忘れて空き巣に入られる。めちゃくちゃ怖かった…犯人が逮捕されるまで何度も犯人に鉢合わせる悪夢を見ました。

※1 令和の若い子は驚きかもしれませんが、昔は自宅電話で友達と連絡を取り合っていました。ギリギリ友達の自宅の電話番号がまだ頭の中に残っていたので友達の自宅に電話し、ご家族に携帯電話の番号を聞いてやり過ごしたのでご安心ください。

精神科医に言われた事

…色々書きましたが他にも思い出したら書き足します。

大人になってADHDの検査をしに精神科に行った時に幼少期の「みんながノートを取ってることに気づく」や中学校の頃の「登校日を間違える」をお伝えしたところ、
「子供の頃のそういったミスはお母さんが気付いて防げる事も多いはずですから“お母さんもADHD”かもしれませんね」と言われて、うん、そうかもね。と思いました。

母もすごいんですよ…

  • スーパーに買い物に行き、財布を無くす。
  • 結婚指輪を無くす。
  • ガス風呂に火を入れたまま家族で外食におでかけ。帰ってきたらご近所さんがみんな家の外に出ていて大騒ぎ。隣の家のおじさんがベランダから侵入し火を止めてくれたので火事にはならなかった。
  • 物への執着がすごくて片付けができない。
  • 駐車場利用時にスマホを落として忘れ、車に轢かれて壊わす。(←私と同じことをしています)

でもまぁ、母はこんなでも父と結婚できたのでよかったね!と思います。
その強運は何故遺伝しないの??

そんなこんなで私もそれなりの年齢になりましたが、ここまでやってこれたのは幸運にも「良き理解者」や、助け合える「お互い様」な関係を築ける人たちに恵まれたからだと思います。

私はパソコン仕事やクリエイティブな作業は得意ですが、数字の計算や書類仕事は驚くほど苦手です。 「私の苦手な部分は得意な人にお願いし、その代わりに私の得意分野で全力でお返しをする」 そんなギブアンドテイクの関係がうまく回っていたからこそ、なんとか社会人として生き延びてこられたんだと思います。…精神科の先生もそう言っていました。

かつての私の中に眠っていた「得意」を見つけて、根気強く育ててくれた大人たちには、今改めて心から感謝したい。そう思っています。

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